「うつ病の人に『がんばれ』は禁句」。そんな言葉を子どもの頃に聞いた。
その理由はだいたいこうだ。うつ病の人は「がんばれ」と言われると、「自分はがんばっていないと思われているのか?」「これ以上まだがんばらなきゃいけないのか?」と自責の念にとらわれてしまいやすい。
当時は「へぇ、そういうものなのか」と、いまいちピンとこないまま受け取っていた。
けれど、大人になった今、あらためて考える。
実は「がんばれ」は、うつ病の人に限らず、そもそも他人に向けて軽々しく言ってはいけない言葉ではないか。
「がんばる」は自分のステータス
人生はリソース管理のゲームだ。
私のHPとMPは有限だ。ときには未来のもっとも大事な瞬間のために、「いまはがんばらない」という戦略的撤退を選ぶことも必要だ。
だから、「がんばる」という言葉は、自分のステータスを表すものだ。
私はがんばっている。今日はがんばらない。明日はがんばる。がんばっているか否かは、私自身が決める。
他人のプレイスタイルを見ずに「がんばれ」と言ってくる人間は、格闘ゲームで「中段立て」と指示する外野のようなものだ。立てるなら最初から立っている。そもそも中段に反応できない人もいれば、ファジーガードをミスして被弾した人もいる。あえてガードをせず、インパクト返しに集中している人だっているだろう。
「がんばれ」も同じだ。病気でがんばれない人もいれば、がんばったけれど失敗した人もいる。今この瞬間はあえてがんばらない選択をしている人もいる。そこに「がんばれ」と言い放つのは、ただの無理解でしかない。
だから、「がんばれ」は簡単に使っていい言葉ではない。
それでも「がんばれ」と言っていい瞬間
そんなことを考えていたとき、ふとTHE BLUE HEARTSの『人にやさしく』という曲を思い出した。
僕はいつでも 歌を歌うときは
マイクロフォンの中から
ガンバレって言っている
聞こえてほしい あなたにも
ガンバレ!
この歌は何度も「あなた」「ガンバレ」という言葉を繰り返すため、応援ソングとして扱われやすい。
しかし、よく見ると、一度たりともあなたに直接「がんばれ」とは言っていない。
歌詞の中で「ガンバレ」と言われているのは、実は「僕」自身だと私は感じている。「あなた」に届くよう願いつつも、まずは自分自身を励ましているのだ。
「僕」は職業歌手だ。自分自身のHPとMPを削り、聞き手に歌を届けるのが生業だ。だから、マイクの前に立つ「僕」が、歌を届けようとするその瞬間に、自分自身に向かって「ガンバレ」と鼓舞している。
そしてその「ガンバレ」が、自分の枠を超えて「誰かに届けばいい」と差し出される。それは命令でも、強要でも、評価でもない。
祈りだ。
歌というのはいつでも聴くことができる。だから、誰かの未来に、あなたががんばらなければならないタイミングで届いてくれたらいい。あなたが今すぐがんばれとは言わない。でも、もしいつか、あなたががんばらなければいけないとき、あるいはがんばれるときが来たら。そのときに、この声がそっと背中を押せたら。
そんなふうな願いが込められているように感じる。
それがTHE BLUE HEARTSの『人にやさしく』が、人の心を傷つけずに沁みる理由だと思う。